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2011年3月

2011年3月29日 (火)

狭さと重さ(地震覚え書き)

最近になってようやく余震が減ってきたようです。
地震酔いかと思うように四六時中揺れている感じだったのが、感じないときも多くなってきました。

ウチはほとんど被害が出なかったのですが、よそ様は洗濯機が壊れたり、電子レンジが落ちて壊れたりと、電気製品の被害も多かったようです。
しかも、大手量販電気店も被害がひどくて開店していないので、困っているらしいです。

我が家では電子レンジはレンジ台に乗っていましたが、上ではなく、中段に置いていました。サイズもほとんどぴったりくらいだったので、落ちたりしませんでした。
たまたまレンジ台の前に物が置いてあって、ストッパーになったようで、レンジ台自体が転倒しなかった。
それだけでなく、上段に置いておいた炊飯器もコーヒーメーカーもオーブントースターも落下を免れました。
その隣のメタルラックの上のポップアップトースターでさえも、何故かぴったりとはまったらしく落ちていなかった。

食器棚は倒れましたがそのまま立ててみると、元の位置より南に15cm動いていました。

居間にあったサイドボードは180cmあり、引っ越しのたびに大きくて重くて難儀する代物だったのですが、これがビクともしなかった。(これは義~母さんが選んだものでした)
これまた重いタンスは6畳の二間半の側に3つぎっちり入っていて、さらに衣装ケースが上からがっしり重しになって、全く転倒しませんでした。
この震度で倒れなかったのなら、大抵の地震でも大丈夫だな、と思いました。
安くて軽い組み立て家具は保たなかったです。
息子の本棚は息子が押さえていたので倒れませんでしたが、揺すぶられたおかげでボルトが飛び出てきてしまいました。
しかし、これまたがっちり重い三段ベッドはびくともせず。^^;

娘が引っ越したあとの部屋には、前日押し入れから出した本を入れた段ボールがそのままになっていました。
ブックオフに持って行くつもりだったのです。
なんとこれがクッションになって、倒れた棚から落ちた物はほとんど無傷でした。
部屋はごちゃごちゃですが(笑)なにが幸いするか判りません。

東西方向においてあった90kgはあるエレクトーンは東側に30cm程移動していました。
これは意外でしたが、ストッパーになる物がなかったからでしょう。

さて、壊れたら泣いちゃう連れ合いの大事なAV製品は・・・・
これも何一つ壊れず。
メタルラックがちょっとずれただけでした。一番上に上がっていたプリンターでさえ落ちなかった。
TVは衝撃吸収ジェルパッドが大いに役立ちました。ビクともしなかった。台ごと東側にちょっと移動しただけでした。
さすがに周りにあるスピーカーは落ちたり倒れたりしましたが、壊れた物はありませんでした。

こんなにひどい地震だったのに、割れたのは食器がちょっとだけ。

今後の改善点は本棚とCDラックでしょうか。
これだけは散らばって大変でした。^^;
収納方法を考え直さなくちゃ・・・・・。


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2011年3月26日 (土)

ラーメンとパン

ラーメンとパン
一昨日駅前まで行った時、パンを買えました。
地震以来初めてのパンでした。
いや、流通していなかった訳ではなく、手に入らなかっただけなんですが。
妙に感動してむさぼるように食べてしまいました。ちょっと涙出そうでした。ただのパンなのに。
そして昨日はラーメンを食べに行きました。
連れ合いが食べたいと言い出したのです。
ラーメン屋が営業出来るくらいになりました。でも、なんとラーメンの華チャーシューの無いラーメンです。
私は海老と筍のラーメンにしましたが、連れ合いはチャーシューの無いラーメンを食べました。
なんだかホッとして、昨夜は早くお風呂に入って早く寝ました。
連れ合いは元気を取り戻し、仕事に出掛けて行きました。
私も地震以来初めてゆっくり寝たような気がします。
避難所でラーメンの炊き出しをしているニュースを見ました。
きっと、身も心も温まったのではないでしょうか。
たかがラーメン、たかがパン…
されどラーメン、されどパン、です。

そういえば、子どもの頃はラーメンもパンもご馳走だった…。

そんな事も思い出しました…。

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2011年3月22日 (火)

お誕生日

お誕生日
今日お誕生日の人がいました。
近くのお菓子屋さんは開いていないので、業務ストアーの冷凍ケーキを買って来ました。
結構美味しかったです。物はそれなりにあります。

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2011年3月20日 (日)

福島県民の思い

地震、津波、原発と、今福島県は大変な状況にあります。
これから起こる、いや、すでに起こっている風評被害についてどういえばいいか考えておりましたが、
ネット上で拡散希望の文章に出会いましたので、私も転載させていただきたいと思います。
私もこの文章を書かれた方と同じ気持ちです。

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東京電力福島第一・第二原子力発電所。福島県の浜通りに位置しています。

東北電力ではないことに注目してください。

福島県の浜通りには東京電力の発電所がこのほかに「広野火力発電所」があります。この地域で発電された電気は、全て関東へ運ばれ、首都圏の方々が利用します。
一切地元ではこの発電所で作られた電気は利用されていません。首都圏の電気の3分の1は福島県で作られている現実をもっと報道してください。

計画停電が首都圏で実施されていて、文句を言っていたり「被災地に電気を送るためだから我慢します」と言っているインタビューを良く見受けますが、何見当違いの事を言っているのですか?

東京電力が計画停電を行っているのは、首都圏の消費電力より供給電力が下回りそうだから突然停電を避けるために予め時間と区域を決めて停電を行っているのです。
首都圏で節電してこちらに電気が送られるなら、何故東北電力まで計画停電を行わなければならないのでしょう?

自分のところの電気が足りなくなっているから自分らが我慢しているだけ、なんです。

この重要な2点をマスコミは何故報道しないのですか?
首都圏の人のために建設された発電所のために地元がこれだけ苦しんでいる現実を、何故広めようとしないのですか?

しかし、冷静になって考えてみると、地元にも雇用や補助金で還元されてきた面はあり、その点は感謝します。
でも、マスコミは「福島は危険」「放射線は身体に悪影響」しか報道されていない節があります。
後付で「このレベルでは身体に害はありません」と言うだけ。パニックを抑えるなら言う順序が逆では?
「放射線の数値が通常より若干高い値を示していますが、体に影響のある数値ではありません。各地の数値は~」と言うのが報道の仕事ではないのでしょうか?

はじめに断っておきます。
首都圏の方々を敵視しているわけでも、悪いと糾弾するつもりも毛頭ありません。
でも、あまりにも酷すぎる。

首都圏で「放射線が怖いからカッパを買いました」「マスクを買いました」「とろろ昆布を買いだめしました」と言っている方がTVに映っていました。
放射線が怖い?何キロ離れてるの?じゃぁ私達福島県民はどうしたらいいの?あなたがたが今まで40年利用してきた電気を作っていた発電所を作ったために
こういったことが起こったって事はご存知なんですか?
いつでも逃げられるようにガソリンを買いだめ?
私達福島県民は逃げたくても逃げられないんです。首都圏の方々のせいとは言いませんが、ガソリンがないため逃げられないんです。
もっと言えば、ガソリンや軽油がないので救急車もバスも、救援物資を運んだトラックも動かない。灯油がないから暖もとれない。
仮に救援物資を運んだトラックが近くまできても「放射線が~」で引き返している現状です。
それが現状です。

現在観測されている放射線数値は人体に全く問題のない数値です。
X線やレントゲン、温泉の方がよっぽど高い数値を示しています。

仮にこのまま何もなかった、普通の生活に戻った、としましょう。
今度は風評被害が間違いなく起こります。

福島県出身です。っていうだけで「放射線は大丈夫?」って思わないでください。
福島県出身の女の子だからって、子供を生む時は大丈夫なの?って思わないでください。
福島県産の野菜はとても美味しいです。
福島県産のお米もとても美味しいです。
お肉も、魚も、みんなが頑張って作ったりとったりしたものです。

でも、福島県産、ってだけで毛嫌いしないでください。

他の自治体や国はしっかりこの点も含めて被災地の復興をバックアップしていただきたいと思います。
復興には人の力がどうしても必要です。一日でも早く復興するためには皆さんの力が必要なんです。
物資の援助もお願いしたいですが、このことも是非頭に入れておいてください。お願いします。

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計画停電は「東日本大震災支援のため」と思っておられる方が多く、大変ショックでした。
都会の電源は地方が作っている。
これが日本の現状です。
また、福島県は放射能「汚染地」と言っている人もいて、その文章を読んだときは悲しかったです。
どうか皆さん、これまで通り福島県民が生活していけますようご支援をお願いいたします。

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2011年3月14日 (月)

記録

記録
記録
記録
記録

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地震発生時間

地震発生時間

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2011年3月12日 (土)

地震当日

地震当日は母の病院だった。
帰って来て生協の配達を待っているときだった。携帯が鳴った。
緊急地震速報だ!
「来る!」と身構えた。母に「地震来るよ!」と叫んだ。

そうしたらいきなりものすごい揺れ。私はTVを押さえ、窓を開けた。
部屋は八畳。幸い家具はコタツしか置いてない。
揺れは益々激しくなってきた。
そのうち神棚から神様(社)が落ち、仏壇から位牌が転がり落ちた。
長い、いつもの揺れじゃない。

この古い築40年近いこの家、持つのか。
たまらず庭に飛び出してしゃがんだ。(母そっちのけ)
弟が母を外に出そうとしたが、母は「こんなのたいしたことね」という。

いや、たいした地震だってば!
今まで生きてきてこんなの経験したことがないほど。
その後もずっと揺れ続けている。
その最中、生協さんは配達をしていった。
すごい!

古い家なので家鳴りが怖くて、私は靴を履いて鞄を持って外にいた。
気がつくと隣の古いブロック塀がうちに倒れかかって止まっていた。
ウチの物置もそのおかげで斜めになってしまった。

弟の部屋では本棚が倒れ、布団の上に倒れかかっている。
弟は夜の仕事から帰って寝ていたので、そのまま寝ていたら危なかった。

私も家に帰らなければ。帰らなければ。帰らなければ!
携帯はすでにつながらなくなっていた。

歩いて帰ることも考えたがとにかく家に帰ることにしたのはだいたい地震発生から1時間以上経ってから。
それでもまだ余震は続いていた。
古い住宅地である実家の近所では、ブロック塀がことごとく破損していた。

道路に出たら信号機が止まっていたので、ぐるりとまわり別の大きな道に出ると信号が生きていたので、その道をゆっくり運転して帰った。

家に帰ると果たして家の中は手が付けられない状態。
食器棚は冷蔵庫にもたれかかって止まっていた。中身はもちろんすっからかん。
吊り戸棚は開いてしまって、中の物も落ちていた。
CDをおいてある棚は固定だったので、棚は移動しないけど、CDが散乱していた。

割れていても仕方がない、と諦めていた「招き猫」
無事。無傷だった。
おいてあった棚がちょうど良く寝た感じになってそのままスライドして落ちたよう。
私、、自分の家に居たらどうしていたか、全く想像が付きません。
家の中はひどい有様でしたが、不思議と壊れて欲しくない物は壊れていなかった。

地震後2時間経って家に戻ったが、結婚祝いに買ってもらった掛け時計は14時46分で止まっていた。

余震は震度3ぐらいがばんばん続けてくるので、気が気でなく、片付ける気にもならず、
大事な物を鞄に詰めて逃げられるようにして玄関に。
玄関が一番柱が多くて物を置いていないから安心感があったのだ。

まさか生きている間にこんなに大きな地震に遭うとは思ってもいなかった。
しかも観測史上最大、とか。

しかし、私などは被災というものおこがましいくらいだ。
TVを見ると、これからどうなるのか途方にくれるしかない。

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2011年3月11日 (金)

地震

生涯最大の地震、でした。
今もまだ揺れています。

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2011年3月 2日 (水)

Restart

Mugiwara昨日は卒業式。寒い卒業式でした。(まあ、いつものことだけど。)

いよいよ娘が家を離れることになり、6年ぶりに家中を整理していました。(ブログ放置でごめんなさい。^^;)

まず押し入れを開けて驚きました。

まだこんな物が残っていた!。
子ども3人の麦わら帽子、幼稚園の帽子、私の帽子。
ただ捨てるのもどうかと思い、写真に撮っておくことに。
Ribon 髪が長かった娘に使った物。たまにしか使わなかったから、そっくりポーチに残っていました。
私はこのリボンがくるくるしているのがお気に入りでした。
本人の好みは関係なし。(^凹^)ガハハ

他にもぬいぐるみ類(もしかしてレアものか?というものも)おもちゃ類、捨てました。

若い頃見た映画のパンフレット、ブックオフに持って行って売ったら、1冊10円にしかならなくて連れ合いががっかりして帰って来ました。(笑)
まんだらけにでも持って行かなくちゃ無理でしょ。^^;
そして結婚してからもず~っと開かずの箱に入れて持っていたものも捨てました。

もう、この年齢になってやっと執着が無くなったのかも。
やっと人生の前半部分を処分できたのかも。(イヤ、まだ途中だけど。)

今年、娘と同じく私たちは人生後半戦へ向けての新たなスタートなのかも。
230000アクセスを自分で踏んだことだし。なんてキリがいいんだ。(笑)

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